昭和四十五年二月十日 月次祭
「未完成のまま永遠に」という言葉があります。これは日田の堀尾という高徳な先生がおられました。その方が教えられた言葉だと聞いております。
「未完成のまま永遠に」と。本当に素晴らしい内容を持ったお道の信心、お道の信奉者が、いつもこのような心の状態で信心を進めていかなければいけない。
お道の信心をさせて頂くなら、やはり教祖生神金光大神様のご信心ぶり、あられ方というものが焦点であり、信心の目印であります。教祖様の生きられ方というようなものが、いつも焦点になからなければなりません。
それは、生まれつき性格が違うからと申しますけれども、やはりお道に御縁を頂いたという事はです、やはりお道の中に御縁を受けたという、その縁はです、もう、この道で私共が助かられるという事と同じ事なんです。お前は、この道によって救われ助かるぞ、と。ですから、その道を私共が体得させてもらう。
その道はどこにあるかというと金光大神の、いわば、御信心のあられ方、生活のあられ方というものが、私共信心信奉者の内容になっていかなければなりません。同時に又、その御信心を継承される二代金光様四神様が、小倉の桂先生に御信心をお伝えになられた。
そこから、教祖の神様の御信心が、四神様の御性格、又は、桂先生の御信心の御性格といったようなものがこう伝わってくる。そこから私共、手続きのそれぞれの先生方の御信心がそれに加わって参ります。そして、ここで、このような具合に、まあ、実を結ぼうと合楽の信心に伝わってきておる。
ですから、ひっくるめて申しますと、私共は、教祖の神様の御信心の御性格と同じようなものを目指せば同じようなものになれれる性情、性格というものを、皆んなが持っているという事になります。「この方の事を、生神、生神と言うが、皆んなもこのようなおかげが受けられる」と。という事は、世界中の氏子と言いたいのですけれども、やはり、縁がなからな仕方がない。縁あって、お道の信心を頂かせてもらい金光大神様〔と〕唱えさせて頂く私達の場合、だから、とりわけそういう事が感じられます。皆んなも、このようなおかげが受けられるという内容を私共は持っておる。
ですから、それが段々、継手から継手への信心の継承を経て、そして、合楽の信心ということになり、その合楽の信心に皆さんがつながっておいでられた訳であります。
ですから、どうしても、その、合楽の信心のあり方というものがです、皆さんの信心のあり方にならなければならないのでございます。
これは、私の流儀だからと。それはね、やはり、なんというても、例えば、ここで秋永先生があり、久保山先生があり、久冨先生が例えばあると、私の一番そもそもからの信心を頂いて下さった方達の信心というものがです、どのようなふうに実を結んでいっておるか、どのようなふうに開花しておるか。それは、やっぱり違うです。久保山先生は、久保山先生。
昨日は、久保山先生の所の恒例のお宅祭りがございました。もう、本当に今日、皆さんでお礼に出てみえて丁度、後に、高松和子さんおいでに出てみえてから、「本当に、年々歳々有り難いお祭り〔を〕頂かせて頂きますが、父がおりましてから、ああして一生懸命で奉仕させて頂いておったお祭りでは味わえなかったものがです、しげるさんと高橋さんが二人で一生懸命前の日からお祭りの準備をしておる、その雰囲気の中から、それを感じとらせて頂きました。まあ、おかげを頂きまして、少しづつではあるけれども、お父さんの御信心がこのようなふうな形に残って、このようなふうにお育てを頂いておるということが有り難い」と言うております。
東京から今日、丁度、昨日のお祭りの午前中奉仕しておる時に、電話が掛かってまいりました。二番目の息子さんが、東京で今、四谷という所で、お寿司屋をなさっておられます。「今日は、善導寺の方のお宅祭りですから、先生、どうぞよろしゅうお願いします」と、「こちらから、揺拝させて頂きますから」と言うて、お取次を頂いております。
兄弟、男ばっかりの兄弟三人に、和子さんの信心も加わって、もう本当に、まあ、現在の久保山では、これが、いっちょういっぱしだなあと思われる程しのお祭りでした。それが、もうすみずみに迄感じられるようなお祭りでした。
本当に、私は、この謝恩祭と、宅祭りと、謝恩祭、一年中の事をとりつかねて頂いて、お祭り、御礼のお祭りをして頂くという事は、有り難い事だと思いますね。まあ、それが本当言えば、日々、そのような内容を持って、生活させて頂くということが信心なのです。
誰でも信心にスランプの時もありゃ、行き詰まりを感じる事があります。最近、何とはなしに、お母さんの信心が風邪をひかれたり、なんかいろんな事情もあって、何とはなしに、壁に行き詰まっておられる、行き当たっておられるといったような〔ものを〕感じられるんです。
昨日、例えば、お祭りを仕えさせて頂いても、それを感じるような状態。まあ、こう、私共、信心をさせて頂いて、壁にぶっつかるという事はね、そこ迄、お互い進んだという事なんです。だから、この壁にぶっつかった時に、そこんところをいい加減にする事になると、それから、後ろの方へ回れ右するような結果になるのが往々ございますね。
ですから、そのお祭りを境に、向こうに、今迄どうにも分からなかった、ぶっつかった、その壁が、向こうへ突き抜けられるおかげを頂かしてもらう事が信心なのである。
昨夜、お祭りを済まさせて頂いてから、帰って参りましたら、又、兄弟二人、だから、お母さんと三人お礼に出て来て<おります>。お礼参拝して帰られて、今朝から、朝の御祈念に、お参りしてみえてです、「先生、昨日は、もう広大なおかげを頂まして」と、言われる<んです>。「昨日、こちらからお礼参拝して帰らせて頂きましたら、もう広大なおかげを頂いた」と言うて、皆んなが、まあ、言うなら騒いでおると言う訳じゃないけれども、何かしらんそういう雰囲気が。「まあ、とにかくお母さん、とにかく、あっと驚く為五郎ちゃこの事じゃろう(笑)ちゅうごたるおかげを頂いとるよ」ちゅう言うて、その、自動車から降りて、そう言われるもんですから、「どうしたの」と、言うて、中さあ、入らせて頂いてです、本当に、それこそ、あっと驚く(笑)為五郎なんですよ。
皆さんも御承知のように、昨日お参りなさった方は、そうでしょうが。あのお座敷の、あの壁がね、落ちてしもうたそうです。丁度、昨日<永井>さんが座っておられた所が一番ひどく落ちてる。ああ、あれがお祭り中、ご直会中であったら、どういう事であっただろうか。もう、その瞬間です。これは、もう理屈じゃないですね。
いわゆる、お母さんの心の中に、何かあそこにぶっつかっておったものが、その壁が落ちると同時にです、壁をぶち抜かれたという感じがする。もう嘘のように、それこそ、今日も言うておられますが、つきものが落ちたようにスッキリとおかげを頂いておる。突き抜けたからなんです。
それに、ほんなら、あれだけ一生懸命の真心というものが結集されてです、いうならば、その壁が突き抜けられたという事になります。
偶然とは言われませんね。本当に、神様の御神意。もう、恐ろしいまでの神様のお働きだと言わなければおられません、ね。
というようにです、久保山先生の御信心がそのような形でですね、子供にも、いわば孫達にも、勿論家内にはなおさらの事、それが、そのような形で伝わっていきよる。
私に、ある意味に於いてから、もう、まあ、<しんこん>傾けての私、ファンであった久保山先生。
秋永先生の信心がどのようなふうに伝わっておるか。秋永先生が、身内、兄弟、さあ、お祭りというと、もう兄弟全部が祭神の御用を頂かれるという程しのところ迄信心が段々育っていっておる。
今年(こんねん)は、久保山先生の所の三番目の、今ここで修行中であります、ひろみつつぁんが、学院に入ります。親子してから、奉仕着を付けて、このお広前でいろんな御用を頂いておるのを見るにつけても思うのです。神様のお働き、神様のおかげ、有り難いなあと。一家をあげて、ひっくるめて神様のこういう御用にお使いを頂けれるというようなです、信心に段々お育てを頂いておるという事は、有り難い事だと。どんなに考えても有り難い。しかも、本当に、その身から打ち込んでの信心。せっかく修行させてもらうならば、本気で信心を分かろうという姿勢を最近示しております。
以前から、松栄会の会員でもありました、ひろみつつぁんの事ですけれども、修行に入らせて頂いて、なおさら、そういうようなものが感じられます。生き生きとして、神様を、信心を頂こうという姿勢。
そのようなです、信心の姿勢というものがです、なら、三人三様そう申しましたが、やはり私の信心から出ておるのであります。そして、そのような形で信心が継承される。信心が、まあ、育っていき、場合には、壁にぶっつかる事もあろう、難儀な時もあろうけれども、その難儀なたんびに、その難儀なところを向こうの方へ、この打ち破っていっておられるというところに三人の先生方の信心が、私はあると思うのです。
その三人の先生、例えば、先生方の信心の内容というものをです、なる程、信心の個性はあるけれども、根本的なものは、やっぱり私の信心を頂いてからの事である、という事になります、ね。
今日は、前講、麻生さんが勤めておられました。どうも、これが響きすぎてから、私は、そこで聞こえませんでした。何と話しているか、私には分からなかった。皆さんにも分かっても、こっちには分からなかったけれども。
今日は、丁度、私が午前中奉仕の時に、親子四人連れで参って来た。大きなケ-キ箱どん下げちから(笑)、<四人連れで>お母さんと二人の子供連れて、二人の子供達がちゃあんとここへ御結界〔に〕出て来てから、それこそ、もみじのような手を合わせてから(笑)、こげなふう、「はあ、ママちゃんは、一寸、お礼をさしてもらわな、〔そ〕して、たえ子ちゃん、今日はあなたは誕生日だから、ね、親先生にお礼を申し上げな」。したら、「満三才にならせて頂きました」ち言うてから、子供が、ね。お礼、お届けをさせて頂いて、お父さんと一緒にここで、それこそ玉串を奉らせて頂いておる姿を見せて頂いてから思うです。金光様の御信心なこれだなあと。ねえ、もう文句じゃない、理屈じゃない。
そのようなようにしてですね、いつの間にかです、麻生さんの信心が家内に伝わり、家内の信心が又、もう、それこそ暗暗裏の中にです、これとあれとこう言うて聞かせる事のない事の中に、信心の言わば、教育がそのようにしてでけていっておる。子供達があのようにして育っていく。誕生が来たといやあ、ちゃんと改まって、夫婦、両親がです、付き添うて、満三才にならせて頂きました御礼(おんれい)のお届けに、御参拝のおかげを頂くということ。素晴らしい事なんですよね。
久保山の昨日の宅祭りがです、本当に一年に一回のあのようなお祭りがです、言うならば、日々、今日(こんにち)も、おかげを頂いて有り難いと、あのような内容を持った毎日。麻生さんの、例えば、長女の今日の誕生のお礼参拝がです、毎日、今日(こんにち)も、お生かしのおかげを頂いて、満何百何十何日めの今日(こんにち)を迎えさせて頂いたと。
それは、丁度、誕生という、誕生日を期して、お礼申し上げるようにです、今日(こんにち)もおかげを頂きまして有り難いという内容がです、あのような内容を形に、毎日御礼(おんれい)申し上げさせて頂くという事。そういうような信心が育っている。
はあ、もう、いついつはこげなおかげを頂いた、<ああ、いつは>こげな珍しい事があった、こういう奇跡的なおかげを頂いたという、何か、その、勿論、それも有り難いですけれどもです、私は、家庭の中にね、そういう信心がです、それもね、金光様の御信心の言わば、あり方、教祖金光大神様のあられ方がです、その継手継手の信心個性に、ある意味合に於いての変化は見せていっておりますけれども、根本にあるのはやはり同じ事。
私の心の中に、ただ今、堀尾先生の御言葉が、皆さんに聞いて頂きましたね、「未完成のまま永遠に」という事はです、大変有り難い響きを持って、私の心の中に頂いていけれるんですけれど、私の信心性格の中に、こういうようなものが欠けておるんだと。
欠けておるものに魅力を感ずる。欠けておるものに憧れを感ずる。欠けておるものが欲しい。だから、私の心の中には、そういうもの、ね、まあ言うならば、皆んなが生神になれれるもの、生神になれれるという自覚を持って<です>、日々、生神への精進を、まあ、させて頂く訳なのですけれども、これは、私が少し慢心の強い男ですから、ややもすると自分では気づかんままに、とんでもない慢心をしておることがある。
もう、ハッとする程、それを感ずる、感ずるけれども、又、慢心しておる。もう、本当に、うまず絶え間ずこの心を見極め、取り組んでいかなければ、もう、私のそこの御結界のそこに、それを書いてある、ね。その事だけが書いてある。「慢心したらおかげの破滅になるぞ」と。毎日、毎日、それを横に睨むようにしてから、見せて頂いておりながら慢心が出ておる。
ですから、そういうみ教えが私には必要であり、又は、私に欠けておるものがです、いわゆる本当に、いつも未完成である私である。けれども、それは、永遠にという事は、今のままでずうっとという事じゃない。どれだけ成長しても、どれだけお育てを頂いても、おかげを頂いていっても限りがないという事なのである。もう、これで完璧、これで完全といったような事はないのだけれどもです、どこにかです、もう俺の真似は出来まい、もう俺が一番だと。
この頃から平田さん、おみえ〔にな〕られてから、「これから先は知らん。けれども、おそらく現在のままであるならば九州一だろう」と。「これから先は知らん。まあだ、どげな素晴らしい教会が出来るか分からん。自分も全国あちらこちら回けども、こういう教会は、まあだ、ない。皆さんの信心がして進んでおられるのに驚いた」と。という意味の事を秋永先生に言われたという事を聞いてから、そうよんなあ、うちの先生は(笑)、やっぱ、良かとこある、ね。皆んな、よう育っていきよる。そりゃもう第一先生が良かもんじゃけ、皆んなが(笑)、というようなものが口には言わんけれども、心の中にやっぱ、あるはずなんですよね。
もう、何か本当に、そういう褒められておる時にです、もう穴でもあるなら入りたいようなですねえ、実感が伴うような信心にあらなければいけないなあと思います。ああ、そりゃやっぱ平田さんは、良かとこ見ちゃあるばい(笑)、というぐらいな気持ちです、ね。やっぱ見るもんが見れば分かる。もう、ほんなごて良かごとある(笑)。
本当に、例えば、どうでしょう。合楽の信心を、見るとこ見られたら、もう、それこそ、もう百年の恋も一変にて冷めるような事になりかねないような内容を持っておるのが合楽なのです。
只、形の上に於いては、なる程、皆さんが言うて下さるようなおかげを、そういう意味合に於いて、なる程、ある意味に於いては、九州一かもしれません、ね。御参拝の、お供えの点、又、皆さんの信心が、本当に、段々進んでおられるという、その姿勢に於いてはです、確かに、そうかもしれない。ねえ、さあ寒修業が終わったから、ゆったっと終わるかちいうたら、益々寒修行を境に、朝の御祈念でも勢いが出ましたような感じですもんね。そりゃ、合楽ならではと、やっぱ思い上がらなきゃならんような、そのぉ、おかげを事実頂いておるんです。
ね、ところがなん、今朝から風邪の具合が悪くてから、久しゅう御無礼しておられました北野の中村さんが、朝の参拝をしてみえられました。
「先生、こうやって休ませて頂いておりますと、毎日のように親先生のお夢を頂きます。いつは、こういうお夢を頂きました。いつは、こうゆうお夢を頂きました」と言うて、その、御届けをされます中に、今朝方、お夢を頂きましたのは、『親先生が私の方におみえておられます。親先生が、こう見事な髭を生やしておられる。「いやあ親先生、見事な髭を生やされましたね」ち言うたら、「んやあ、これはまあだずうっと伸ばすつもり」ちから、おっしゃった。』
私、それを聞かせて頂いてからですね、本当に、もう、どうにもでけんなあ、神様は、本当な事を教えなさるのだからなと、言うて、<まあ、言うた事>でした。
これは、もう中村さん、本当に今迄私が、あなたには、言いよかもんじゃから、ね、もう、それこそ言うならば、私の一番修行時代の頃から知っておられるし、又私の信心の、まあ、言うならば、大変な帰依者でもあるのですから、言いよかもんじゃから、もう、あなたの顔を見ると私が大きな事ばかり言う。しかも、あんな年寄りを捕まえて私が、その、言葉激しゅう、まあ、怒るように言う。
それは、なる程、中村さんは、それを信心で受けとめて、怒られりゃ怒られるたんびに、おかげを頂いていかれるけれどもです、やはり先生、私ごた年寄り捕まえちから、どうして私ごたるとばっかりやかましゅう、私だけ、あんやかましゅう言いよんなさるじゃろか、というようなものを、やっぱり感じよんなさるだろうと、こう思うのです。
これからは、もう、ね。
昨日、私、善導寺に参りましたら、何か、そのぉ、自分の子供に会うたような気がしたんですけれども。あら、こんなもん何時書いて上げとっただろうかと、短冊に、茶の間に掛けてあった。「笑って教える」と、書いてある。やっぱ私のサインをしとりますから、私が書いて差し上げとるだけは、間違いない。それを短冊に掛けてある。
「笑って教える」。なんと素晴らしい言葉だろう。それこそ、にが虫噛み潰したごとして、声を大きくしたりして教えるのじゃない。笑って教える、その態度こそが、有り難いのだ。自分が偉そうに、叱るようにして教えるというような事は、もう、とんでもない事だというふうに、今朝から、まあ気付かせて頂いておる。
皆さんも御承知のように、私は髭を生やすということは一番嫌い。髭っていうやつは、あれはもう、なんか、もう威張っとる。(笑)そのお、ような感じがする。
はあ、金光様の先生でも、あっちはとても偉いち言うちから、殿様のごたるような髭をこうやって生やしとるなら、その先生は、もうつまらんと、そう思うような感じがするんです。はあチョボ髭生やしとごたる人もあれば、こうやって小野道風のごたる髭を生やしとる人もある。その方が装束に似合う訳なんです、やっぱ。装束を付けさせてね、こんな。まるっきり、そのお、役者んごとある。
髭で信者ば、助けます。(笑)というように、私は、髭は大嫌いなんです。それこそ、久冨先生は、以前は、チョボ髭を生やしとられた。なかなかかっこのいい髭を生やしとられました。段々、椛目の信心に帰依してみえられましたから、私が、ある時申しました。
あるお願いをなさった時に、「久冨さん、いっちょん今度、あんたの髭を落として来なさい(笑)」「髭ばですか」ち。私は、もう髭が一番すかんち(笑)。そしたら、あくる日、スパッと落として来なさいますもん。それこそ、うちで揃える時に、それこそ、お母さんがですね、「もうパパ、あんた、髭だけは落としなさんな」ち言われたそうですけれどもね、「親先生が(笑)おっしゃたけ」ち。そのお、<いらん>髭を立てられる事はないのです。(笑)
だから、合楽で髭を立てる人はありませんもんね。私がすかんすかんち言う、すかんすかんと言いながら私自身がです、ね、神様の目から御覧になると生やしとる。しかも、まあだ生やそうと思いよる。(笑)
もう、私、今日、中村さんの、その御届けを聞かせてもろうてね、もう思えば思う程、思い当たる事があるのです、ね。
例えば、寒修行終わらせて頂いて、こっちの事からだけでも、その事がですね、本当に、あれも思い上がり、これも思い上がりと。
そしてですね、私もそれに気付かん前に、昨日、一昨日だったか、たまたまコタツの間で若先生と一緒になりましたから、いろいろお話をさせて頂く中にね、「若先生、もう、とにかく慢心しちゃいかんぞ」と。「慢心ぐらい見苦しいものはない。又、おかげを頂かんものはない。御取次をなあ、こうやってさせて頂いておると、本当に自分ながら素晴らしい御取次が出来たと思う事がある。必ず助かっとる、そういう時。
最近、私の耳に入ってくるのに、若先生の御理解を頂いてから、「おかげ頂きました」という人が、段々増えてきた。だから、そういうようにです、ね、「若先生の御取次のおかげで助かった。若先生、あの御理解を頂いておかげ頂い」た、と言われる時が一番大事な時ぞと。そげん時には、もう本気で自分がお話をしたのじゃない、自分が【 】のじゃない。親先生の御取次によって金光大神の御取次の働きが、このようにして私を通して御取次させて下さるという思いをしんから持たんと、あちらもおかげ頂かなこっちもおかげ落とすよ」と、言うて話しておるんです、私も。
又、実際そう思っているところが、その、ね、私自身が何時の間にか、どこからか、そういう言わば、<侵入>してくるものがある。
はあ、これが性格って仕方がないなと。本当に自分に欠けておるもの、謙虚さがない。すぐ思い上がる。そして、それをある意味に於いての素晴らしき慢心だというて、素晴らしき慢心が持つべきだと教えてもらう。だから、素晴らしき慢心であれば良いのであるけれどもです、それこそ鼻持ちならない慢心が何時の間にか育っておる。何時の間にか髭が生えていきよる。これではね、おかげの破滅になるのだ。よお、神様がおかげを下さった。
二、三日前の朝の御祈念の時に佐田さん所の、ああして親子四人で毎朝参ってみえます、ね。今、啓介君が八才でしょうか。本当にね、やっぱり、もう一年何ヶ月間ああして朝参りを続けておりますからね、神様からお知らせを頂くんですよ、あの子。御祈念中にお声を頂いたり、御神眼。「今日も御神眼頂いたから、僕が御届けする」ち言うてから、やって、御届けをするんです。
それがね、今朝から、先生、こういう御神眼を頂いた。『ここの親奥様がね、綺麗な紋付の羽織りを着ておられる。その奥様がね、こうやってお茶の時にするように手をこんなふうに畳についてから膝で前にこう進んでいくでしょう。それを自分でここでしてみるんです。こげんしてから奥様が、その、前さん進み、膝で前さん進みよんなさった。そしたら、ひょっと見たところが、その奥様がこげんして進みながら「アッ」と、ベロを出したっちゃち。(笑)それは、そのままして見る訳です。「はあ-」って言うてからベロ出しよる。
「紋付は素晴らしい。前に進んでおる事も素晴らしい。けれども、ベロを出しちゃった事が、もう啓介君、ほんなこと、どげな事ばってん神様が教えなさるね」ち言うてから申しました事でした。
その日から、家内が紋付を付けて朝の御祈念に出て来ているんです。前々からしてあったのが出来て参りました。皆さん御承知のように、私の紋には、この梅の花の紋ですね。天満宮さんの紋と同じ。大体、大坪家のは、それに、こう輪があるんです。ですから、もう全て女紋も男紋もうちのはそれに一律にすると言うので、家内の紋も梅の小さい紋を入れるように文男さんによくよく、その事は京染めにやるのですから、自分の思うように出来るのですから、そうしてあった。言うてあった。言うてあったのにわざわざ出来上がってきたのを見たところが、その、梅ばちの紋であった。はちがはえておる。その羽織りを、その朝から着てお広前に出て来てるんです。
ですから、なる程きちっとして羽織りこそ付けて来てある。なる程信心が前に進みござる事あるけれどもです、実を言うたら、それはベロを出しとるちいう事は、それは、あの、嘘を言う時にはベロを出す。「ベロッ」ってベロを出す。(笑)そげなこつ言いよると、閻魔さんがベロば引き抜きなさる、ち言うでしょう。
だから、舌を出すちいうことは、嘘を言うという事。信心の内容が嘘だという事。まあだ本当に紋付袴を付けなければおられない。紋付を付けなければ御神前には出られないという程しの信心を頂いてはいないという事。私が言うから着てきよるだけの事。信心が間違っとるという言うのじゃないですよ。
皆さんでもそうですよ、ね。それこそエプロン掛けの人こそありませんけれども、普段着でお参りさせて頂いても平気な人もある。なら、やはり、一寸羽織りの一つも引っ掛けて来なければ御神前には出られん。勿論、その人の信心。そうしなければおられないのですから。
昨日、私、久保山に、自動車の中でしげおさんが御供してみえましたから「あんたは、どうして洋服を着て来なかったか。よか洋服をどうして着て来じゃったの」と、私が言うた。「もう善導寺迄じゃけんでと思うとるのか。大坪さんと一緒じゃけんでと思うとるのか。それはいいです。私は大坪さんと一緒でもいいけれどもね、それでは修行生のおかげ頂かんよ」と。「どこ迄も、あなたは親先生の御供じゃろうが。親先生の御供をさせて頂く時に、普段着の洋服どん着て来てどうすんの」ち、私は善導寺〔に〕着く迄、その事を申しました。大坪さんは、まあ友達でんよかろう。けれどもね、親先生の御共なら、それじゃいかんばの」と、私が〔申しました。〕
まあこげな事でも考えてみると慢心ですよね。けれども、そこには、大坪総一郎と親先生とはっきり区別してからの事であります。
なら、家内が羽織りを着て来るをいう事、着せてお広前に出ておるという事はね、そうしなければあいすまん。神様の前に出るのに、このようなお粗末な、せめて羽織りなっとん引っ掛けなきゃ、紋の付いとる着物なっとん着せて頂かなければ、御神前にはぬかずかれないというような信心がです、こう育てられていかなければならん。それを<見えて>啓介君に言わば舌を出しとるようなものだというふうに、教えて頂いた。教えて頂いて、改めて家内としてもです、本当に内容のない事を気付いたことでありましょう。本当に、羽織りを着せて頂かなければおられない、又着せて頂けるだけの資格を頂かしてもらうぐらいなおかげを頂かなければならんと思うとる事でしょう。
信心がそのようにです、段々お育てを頂いて、それを、もし気付かずに、紋付を着るようになり、袴をはくようになり、どこから見ても親奥様と言われるようになっていったら、どういう事になるでしょうか。それこそ中身が嘘、中身がカラの親奥様になっていかなければならんのです。
親先生とても同じこと。それこそ親先生が大先生にも、又は、生神様のようにも皆さんから仰がれる程しの内容が頂かなければならん。そこが、今日、私が申しますように、「未完成のまま永遠に」ということは、そういう限りのない真の道をね、求めて行き進めて行くという事。その邪魔になるのが慢心なのである。
もう、この位でいい。もうそこにはね、言葉使い迄変わってくる。何か本当に、お前が<ぬし>だといったような態度を取るようになる。自分は上役じゃから、それで良かごと思うとるけれどもです、何時の間にかそういう事になっていってはです、お道の御信心ぶりというものが泣きます。形だけじゃない、内容がそうでなからなければいけません。
もう一年前だったでしょうか。ある教会の御大祭に若先生の御共をして、秋永先生がおかげを頂いた。なる程、素晴らしいお説教を、ある先生がなさった。そこで、後から御直会の席で、「先生、今日はあなたのお話頂いておかげ頂きました」ち言うてから、言うち。そしたら、「分かったの」ち言わしゃった。良かったろうがな今日のお話は、と言わんばっかりである。いいおかげ頂きました。それ迄は良かった。
「秋永さん、いっちょ私も(笑)うち迄自動車で送ってくれんの」ち、こう言うた。「もう、本当にそれを聞いたとたんにガッカリした」と、こう秋永先生が言う訳です。もうほんな、ちょいと出ちからおかげ頂いたち言うたら、もうよその信者の自分を捕まえてですね、「送ってくれ」と、こう言う。
私がその事を若先生に言うんですよ、ね。神様から話をさせて頂く、神様から御取次をさせて頂く、本当に自分ながら耳傾けるごたるお話が出来る時がある。自分ながらいい御取次がでけたという事がある。信者が、「先生、今日のお話はおかげ頂きました」。「のお、今日の御理解の通りばい」ち。もう、それこそ自分が教えたこと思う。そして次にはです、もうこの位俺が話を聞いて有り難とうなっとるけんで使うたちゃよかといったようなものが出て来る。そして、よその信者の秋永先生を捕まえてです、どこ迄、いっちょん私ば送ってくれんのとなった時に、秋永先生の心の中に感じたものはです、「ほんな、ちょいとおかげ頂きました」ち言うとるもんだから、もう、およ<ばず、りんちょく>なるごと言うと思いながら、「まあ、どうぞ」と言うて、送って差し上げたらしいけれども、こういう事では、若先生、いかんよ」と言うて話させて頂いておる程しの私。
その私が、どうも髭生やしよる、そして、もっと長うなそうと(笑)思いよるとゆうところにです、もう、本当に限りなく自分という者が本気で見極められなければならないかという事が分かる。私達もそういう事がありはせんだろうか。「先生、今日は、あなたのお話おかげ頂きました」と。
例えばです、自分の我が意を得たりといったような調子の良い時です。もう、いかにも、それが自分の力を持って、そのような素晴らしい調子が出とるような思い違いをするところから言葉使い迄変わってくる。恐ろしい事だと思います。
私は、信心をさせて頂いて、何が恐ろしいと言うてもです、慢心が、何時の間にか育っていきよる、それに気付かない事だと思います。
私、今朝からです、中村さんのお夢の中から、それを頂かしてもろうて、こりゃ私も猛反省しなければならないなと。私は、私に欠けておるものがそのようにです、いわば、謙虚なもの。言うならば、いつも自分が未完成であるという事を見極めておるという姿勢、そういうものに欠けておる。欠けておるから、そういう言葉に私共が魅せられる。自分に欠けておるものに有り難いと思う。
ですから、やはりここに御神意を頂かれ、皆さんの中、中じゃない、皆さんもです、やはり同じ、まあ、系統と言うか、いわば類は類を持って集まると言うのでございますから、そういう類型の方が多いということ。
何時の間にか自分が慢心が出ておる。それも、慢心とは気付かないことが慢心になっておる。不平不足が起こる時には、もう既に慢心しておる時だ。自分が人を見て、軽う見るような思いがある時には、もういよいよ慢心しておる時だ。自分の態度がです、「今日の話はおかげ頂いとろうがな」その先生じゃなかばってん、それだけなら良かばってん、もう俺のおかげでこの人ば助かっとるとじゃから、この人の自動車ぐらい使ったちゃ当たり前のような、私は事ではです、もう、ほら、秋永先生が確かに、今日のお話頂いておかげ頂きましたと言うておるから、おかげ頂いとることだけは嘘はないのだけれども、その、言わば慢心の態度を見てから、こんやつがと思うて、もうそれは自分もおかげ頂いてなければ、相手もおかげ頂いてない。
本当に、こういうような同じことが私共のですね、生活の中にもずいぶんありはせんでしょうか。これだけ俺しかでけん。いかにも自分がしておるようなですね、慢心。
これは、もう本当にひとつですね、本気でそこのところにおかげを頂かして頂いて、まあ言うならばです、今、ひろみつ君が一生懸命のそれこそ、もう何と申しましますかね、もうビリビリした、その信心、生き生きしたものが廊下なんかでも、又、「ハハア」(笑)それこそ、親先生にそげんして頭下にゃおられんのです、ね。
だから、「初心忘れるべからず」ということを申しますが、そういうようなものが。私は、私に最敬礼して下さいという意味じゃあないですよ。そういううぶな生き生きしたものがです、そういうものが永遠に持ち続けられなければいけないと私は思います。
というて、信心が何時迄もうぶであってはならないけれど、ここは勿論お育てを頂いていかなければならんけれど、その根底にあるものはです、何時も我、修行生、いや修行に入った時の、あの気持ちをいうものがです、私は大事じゃなかろうか。教祖様も「おかげを受けた初めの事を忘れなければ結構である」と、教えておられます。
私共が段々功者になって、いろんな事が人にも話し伝えられるようになって参りますところの辺からです、私が良か御取次をしてもろうた、良かお話をしてもろうたとしてです、まあそれでおかげ頂いたけれども、その慢心がです、なんとはなしに、もうその人がですね、から離れる、離反していくようなものをです、その人から感じるような事がないだろうか。それは、私自身の事。私から離れて行く人がある。惜しかねえ、あの人は、本当に惜しか。私が、そんなこつ言う前にです、私から離れて行く、離れなければならない元がです、私の何かそこに鼻持ちならないものが、私から離れて行く、敬遠されて行くものがあるのではないかという事をです、私自身が思わなければならないように、自分に厳しくということは、私は、お道の信心ではですね、自分の慢心の出ようのない程しに自分というものを見極めていこうとする姿勢にあると思うのでございます。
本当に、ひとつ「未完成のまま永遠に」、うぶな心をそのままに持ち続けさせて頂ける工夫が必要でないでしょうかね。どうぞ。